- Dec 2017
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八月の濡れた砂
1971年8月に公開された同名の日活映画『八月の濡れた砂』の主題歌で、石川セリのデビュー曲「小さな日曜日」のB面だった。公開当時はほとんど話題にならなかったが、この映画にほれこんだTBSラジオの林美雄アナウンサーが、パーソナリティを担当していた『パックインミュージック』で繰り返しオンエアし、石川セリや監督の藤田敏八をゲストに迎えたことで、若い世代に広まっていき、AB面を入れ替えて再発売された。
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ちっちゃな時から
1970年2月に発売された浅川マキ2枚目のシングル。
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グッド・ナイト・ベイビー
1968年5月に発売されたザ・キング・トーンズのデビュー曲。発売当初はほとんど反応がなかったが、仙台のラジオからヒットが始まり、翌年になるとそれが全国に波及して大ヒットとなった。アメリカではアトランティック・レコードから発売され、ビルボードのR&Bチャートにランクインしている。
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どしゃぶりの雨の中で
和田アキ子の2枚目のシングル。オリコンでは19位のスマッシュ・ヒットで、和田アキ子の知名度を高めた。
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昭和枯れすすき
1974年7月に発売されたさくらと一郎のシングル。同年10月から放送された久世光彦が演出したTBSドラマ『時間ですよ昭和元年』の挿入歌として印象的に使われたことで人気となり、翌1975年のオリコン年間チャートで1位となる大ヒットとなった。
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くちなしの花
1973年8月に発売された渡哲也のシングル。有線などで徐々に支持を広げつつあった1974年2月、渡が肋膜炎で倒れ入院するという出来事が起こる。そこで彼を応援するファンが有線やラジオのリクエストで後押ししてロングセラーのヒットとなり、年末の紅白歌合戦にこの曲で初出場した。<br> 吉田拓郎やテレサ・テンなどがカヴァーしている。
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禁じられた恋
1969年3月に発売された森山良子の9枚目のシングル。それまでのフォーク路線から作家陣を一新した大衆歌謡路線で制作され、その狙い通りに80万枚の大ヒットとなった。
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経験
辺見マリのセカンドシングル。吐息混じりに繰り返される「やめて」というフレーズと艶めかしいフィンガーアクションが強烈な印象を残し、30万枚のヒットとなった。
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ひとり寝の子守唄
1969年9月に発売された加藤登紀子のシングルで、同年の日本レコード大賞歌唱賞を受賞している。詞曲ともに加藤登紀子の自作曲で、当時収監されていた恋人で後に夫となる藤本敏夫のことをうたっている。
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新宿の女
藤圭子のデビュー曲。発売当初はあまり反応が良くなかったが、11月に行った「新宿25時間立体キャンペーン」と、それを取り上げたスポーツニッポンの小西良太郎による記事が評判となり、翌70年1月にはオリコン1位となった。<br> キャンペーンの出陣式を行った東新宿の西向天神社にはこの歌の歌碑が建てられている。
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白い色は恋人の色
1969年10月に発売されたベッツィ&クリスのデビュー曲。解散したザ・フォーク・クルセダーズのメンバーだった北山修と加藤和彦が作詞作曲のコンビを組んでいる。二人の美しいハーモニーが印象的な楽曲で、翌1970年にかけてロングセラーとなった。
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真夜中のギター
千賀かほるのデビュー曲。島谷ひとみ、UA、由紀さおり&ピンク・マルティーニなど、多くのアーティストによってカヴァーされている。
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フランシーヌの場合
1969年6月に発売された新谷のり子のデビューシングルで、同年3月にパリの路上で焼身自殺を遂げた女性、フランシーヌ・ルコントのことをうたった反戦歌。彼女は遺書は遺さなかったが近くでベトナム戦争を巡る拡大パリ会談が行われていたこと、飢餓に苦しむアフリカ・ビアフラ難民の写真を身につけていたことなどから、反戦を願う抗議の自殺と受けとめられている。詞曲ともに郷伍郎の作であるが、反戦的な歌詞が仕事に影響することをはばかって、作詞のクレジットは夫人である「いまいずみあきら」としている。
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人形の家
1969年に発売された弘田三枝子のシングル。「二人の銀座」(山内賢&和泉雅子)「北国の青い空」(奥村チヨ)などでアレンジャーとして活躍していた川口真の作曲デビューとなった作品でもある。この曲の大ヒットによって弘田三枝子はそれまでの庶民的なキャラクターからのイメージチェンジに成功、ファッション・リーダーとしても活躍するようになった。
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恋の奴隷
奥村チヨの17枚目のシングル。なかにし礼による扇情的な歌詞によって新たの路線な確立し、続く「恋狂い」「恋泥棒」もヒットし、この3枚は“恋三部作”と呼ばれるようになった。
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どしゃぶりの雨の中で
和田アキ子の2枚目のシングル。10万枚以上を売り上げて、彼女にとって初めてのヒット曲となった。
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何も云わないで
園まりが1964年にリリースしたシングル。それまでカヴァーポップス、和製ポップス路線だった彼女だったが、この曲が大ヒットしたことがムード歌謡路線を確立するきっかけとなった。また、作詞の安井かずみにとっても出世作である。
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夜明けのスキャット
由紀さおりのデビュー曲で150万枚の大ヒットとなった。TBSラジオの深夜番組『夜のバラード』のテーマ曲として制作された楽曲で、元々はスキャットのみで歌詞はなく、長さも1コーラスだけだった。これが評判となり、山上路夫が2番の歌詞を書き加えてシングル化された。
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時には母のない子のように
カルメン・マキのデビューシングル。当時彼女が所属していた「演劇実験室 天井桟敷」の主宰である寺山修司が作詞を、その秘書だった田中未知が作曲を手がけたこの楽曲はミリオンセラーとなり、所属していたレコード会社であるCBSソニーにとっても初めての大ヒット曲となった。
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笑って許して
1970年3月に発売された和田アキ子のシングルで代表曲のひとつ。編曲を担当した馬飼野俊一はこの楽曲で日本レコード大賞編曲賞を受賞している。
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ブルーライト・ヨコハマ
1968年12月に発売されたいしだあゆみの代表曲で、翌1969年にかけてミリオンセラーを大きく越える大ヒットとなり、作編曲を手がけた筒美京平にとって出世作となった。ちあきなおみ、近藤真彦、サザンオールスターズ、徳永英明、由紀さおり&ピンク・マルティーニなど、現在に至るまで数多のアーティストによってカヴァーされ、歌謡曲のマスターピースのひとつとなっている。
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たそがれのワルツ
原題は「I Really Don't Want to Know」。1953年にレス・ポール&&メリー・フォードが歌ったバージョンが最も有名で、その後もトミー・エドワーズやエルヴィス・プレスリーがヒットさせている。日本に「たそがれのワルツ」として紹介されたのは1953年のエディ・アーノルドのヴァージョン。
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ざんげの値打ちもない
1970年10月に発売された北原ミレイのデビュー曲。 http://mca-proto.voyager.co.jp/songs/tp-2333
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白い蝶のサンバ
1970年1月にリリースされた森山加代子のシングル。1960年代後半、表舞台から遠ざかっていた彼女だったが、この曲の大ヒットによって、再び第一線へと舞い戻った。
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