田村廣治
後にホテル・イベントの運営会社であるプランニング・インターナショナルを興して成功した。2010年没。<br> 東芝時代には水原弘の「君こそわが命」もヒットさせており、その時のエピソードを小西良太郎はこう記している。
初対面の好印象を持ち帰る列車の中で、タムと編み出したのが「復帰へ、3千万円作戦」のキャッチフレーズだった。ポスター、チラシ、パンフレットの類いを作る。ラジオスポットを打つ。有線放送とタイアップ、全国をPR行脚する…。それやこれや考えられることを全部やって、諸経費総額が約3千万円。それを算出したタムと僕は、<br> 「借金まみれのスターの再起には、銭で後押しの話題づくりが似合いだね」<br> と笑ったものだ。